Saturday, November 30, 2013

嘉義6日目/day 6 in Chiayi

この間韓国に行った時に友達と道を歩きながら、
幸せとは何だろうかという話をした。
例えば
他人のために自分の力を分け与えられるとか、
生活に困らないお金があるとか、
大事な家族がいるとか、
好きな仕事をしているとか、
人によってその答えは違うと思うけれど、
今回の嘉義の旅で、私にとっての幸福は何かという輪郭が
ぼんやりと見えつつあるような、そんな気がする。

きっと、私にとっての幸せとは、
美術を通して、離れた場所にいても
大事に思い合える人達と出会い、
お互いの人生が交差したところで思い出を共有し、
また会おうねと約束しながら
それぞれの人生を丁寧に生きるということなのかもしれないと思う。
例え再会までに少し時間が経ったとしても、
次に会った時にはおいしいものを食べながら
それまでに起きたニュースを方向し合って、
泣いたり笑ったりしながら
また次の日に向き合う勇気を交換し合うような、
きっとそういう事なんだろうと思う。

嘉義で生まれ育ったという、
檜の木工製品屋さんを営んでいる86歳のおじいちゃんが
今日私に下さったキーホルダーには
「宇田奈緒様 幸福 台湾への旅」と優しい言葉が刻まれていて、
私は色々な場所に住んでいる大事な人たちに感謝しながら、
幸せな人生を丁寧に生きて行きたいものだと思った。

Friday, November 29, 2013

嘉義5日目/day 5 in Chiayi

嘉義から1時間半ほどバスに乗り、
山の中で暮らしている原住民族の村に行った。
文字を持たない言語を使う彼らは、
代々口頭で伝えられる物語に基づいて、
その時期に食べていいと決められているものを
栽培したり採取して暮らしているのだという。

そこにある中学校で私の作品について話をして、
ヌーの絵を描き、生徒のみんなの大事にしているものと
ヌーを交換した。
私の作品について話した後、
生徒のみんなが私に「ナーウー」という名前を付けてくれた。

その中の一人から、
「ナーウーにとって美術は仕事?」という質問を受けた。
私にとって、美術は仕事ではなく、本当に大切なもので、
生きることと同じような存在だよと答えた時、
生徒達は私が自分で思っていたよりも
はるかに深く、その意味を理解してくれたんじゃないかと思う。

生徒のみんなが私と交換してくれた写真や絵や、
イノシシの骨やペンやキーホルダーやCDや石や、
たくさんの質問が、私にとって本当に意味があるのと同じように、
彼らにとっても、ヌーが少しでも意味のある存在になれたならいいなと
心から思った。

Thursday, November 28, 2013

嘉義4日目/day 4 in Chiayi

ある時そこにどこかから人が来て、
しばらく滞在して共通の思い出を作り、
時がきたらまた別の所に移動して行くのを見送るのが
ホステルを経営するということだとオーナーが言う。

まだ嘉義に来て4日しか経っていないのに、
ここでは皆がありのままの自分でいることが当然だよと
暖かく迎え入れてくれる雰囲気がある。
昨日出会ったばかりの人が
ずっと昔からの知り合いなんじゃないかと思うような、
そんな自然な空気感で相手を信じられるのは
この町に存在する不思議な力なのかもしれないと思う。

今まで、誰かを信頼するというのは、
自分の身を相手に預けて
どこか遠い所に飛び込むようなものかと思っていた。
でも、本当はそんなことではなくて、
それぞれの人が生きて来た道が交差する場所で、
お互いの大事にしているものを尊重しあって、
おいしいものを食べたり涙が出る程笑ったりして思い出を作り、
また地球のどこかで会おうね、って言いながら別れる中で、
自然と生まれて来るものなのだろうと感じる。

長い時間の経過の中で、嘉義という町も
生まれて来る人を迎え、成長を見守り、
そして去って行く時を見送って来たのだと思う。
その町が持つ記憶は私の今回の滞在制作の記憶と
どんな風に重なって行くのだろうと今日は特に感じた一日だった。

Wednesday, November 27, 2013

嘉義日記4/Chiayi Journal 4


嘉義3日目/day 3 in Chiayi

嘉義の「東市場」の建物は
補強や変更が必要になった時に、
その時代に使われている身近な素材や技術を使って
変化が加えられていった場所なのだという。
今ここに存在している市場の建物や風習や役割は、
その全てが積み重なった、コラージュのようなものなのだと
嘉義を研究している先生から教わった。

世界のどこにいても、もしかしたら人は
似たようなことを考えるのかもしれないけれど、
台湾という場所や嘉義という土地に来てから、
「現在」とは、いろんなもののコラージュで
出来ているのだと感じことがとても多い。

そこに住んでいる一人一人の人生や、
その時々に受け継いで来た文化や言葉や、
夜市を構成する一つ一つの店や、
昔のお風呂場に使われていた懐かしい模様のタイルや、
時間の流れを作り出す毎日の積み重ねが、
それぞれの要素として町を作る。
そして、その町が物事や人の繋がりを作り、
「現在」を生み出しているのだとしたら、
台湾とコラージュという考え方がとてもしっくりきて、
この町の今を切り取った写真に写り込むものを
早く現像して見てみたいと思った。


自由時報/The Liberty Times


Tuesday, November 26, 2013

嘉義2日目/day 2 in Chiayi

「世の中で一番楽しく立派なことは
一生涯を貫く仕事を持つことです」
という言葉から始まる福沢諭吉の心訓を掲げた
昔ながらの眼科が嘉義にあって、
そこで100歳まで医師を続けたお父さんのことを、
もうすぐ80歳になるという現役の眼科医の先生が
日本語で私に説明してくれた。
お父さんの遺言で心訓を守るようにと言われたのだそうだ。

3年前に網膜剥離になって、
見えるということは当たり前のようでいて、
全く当たり前ではないと実感した。
それととても似ていて、
何かがずっとそこにあるということも、
決して当たり前ではなくて、
人の努力や配慮、思いやりや願いがあって、
受け継がれていくのだと実感する。

弟を癌で先に亡くしてね。
家内も今、末期の癌で入院しているんです。
僕も足が悪いから、午前中はここで昼寝してますから、
また遊びに来て下さいね。
という先生の日本語の話し方が、
うちの祖父や叔父と何だかよく似ていて、
時間の流れによる物事の変化の理由や理不尽さも色々と感じて、
まだまだ知りたいことがたくさんあると思った。

父から息子へ/From a father to his son.


Monday, November 25, 2013

嘉義初日/1st day

今、目の前に存在しているものは、
歴史や知恵の積み重ねの結果であって、
そこにすごく感動したり共感した時に、
その表面をどうにかして写し取っておこうと願うのが
私にとっての写真なのかもしれないと
嘉義に来て初日だけど、とっても実感する。

だんだんと消えて行ってしまいそうな建物の歴史や、
伝統の中で受け継がれて来たおいしい物を食べる習慣や、
人が集まってお酒を飲みながら
歌を聞いたり歌ったりすることだったり、
いろんなテーマについて語ることだったり、
時間が流れていってしまう事がとても惜しいけど、
でもそれがその先に続いていると実感する時に、
写真はきっとすごく力を発揮するのだろうと思う。

まだ到着して数時間しか経っていないと思えないほどに
暖かい空間に迎え入れていただき、
明日から何を撮ろうか楽しみです。


嘉義到着/I'm in Chiayi


台湾到着。/I'm in Taiwan.


Sunday, November 24, 2013

今回のレジデンスのテーマ/Theme of the residence

8月の台北の展示で出会ったキュレーターの方に
今回のレジデンスに誘っていただいて以来、
時間があればとにかくチャットをして、
このレジデンスでどんなことをしたいかを話し合った。

何時間話したのかわからない程にいろんなことを検討し合い、
その中から自然と見えてきた2つのテーマである、
「帰る場所があること」と「言葉にならないもの」
について滞在制作をして、展示を作っていくことになった。

自分が住み慣れた町を離れ、
わざわざ好んで遠いところに行って制作をするのに、
そのテーマが「帰る場所があること」というのは、
何だか不思議に思えるのかもしれない。
でも、帰る場所があると知っているからこそ、
人間は遠くにも行くことができるし、
遠くにいくことがあるからこそ、
人は帰る場所のありがたみを知ったりするのだろうと思う。

8月の「言葉にならないもの」をテーマにした展示で
今回のキュレーターの方に初めて会った時、
ぜひ嘉義に来て、嘉義に存在する言葉にならないものを
宇田さんの目で見て欲しいと言ってもらったことを良く覚えている。
その時の展示では、
祖父が遺した「言葉にならない」という手紙に込められた思いが、
私が長年考えて制作してきたテーマと重なっているという
暖かな実感があった。

祖父自身が晩年「帰る場所」をどこだと認識していたのか、
今では聞く術がないけれど、
生まれ育った土地を20歳前後で去る時に祖父が書いた手紙が、
今の私と嘉義を繋いで、「帰る場所があること」について考えたいねと
言い合えるような出会いを生み出すという、
そんな繋がりを大事にしながら嘉義を見て来ようと思う。

Saturday, November 23, 2013

Statement of the show/展示について

About 70 years ago, my grandfather wrote a message to his friend George 
when he was living in Canada. 
It was a difficult time, and they had to be separated. 
I think my grandfather had so many things he wanted say, 
but he just wrote "Words Fail Me." on his friend's notebook. 
My grandfather came to Japan after that, and George stayed in Canada. 
They never had a chance to see each other again, 
but George still has the notebook even today.

今から70年ぐらい前に私の祖父がカナダに住んでいた頃、
友達のジョージ宛に書いた手紙がある。
その頃は世界が複雑な状況で、
私の祖父とジョージは運命の力で離ればなれになった。
そんな状況の中で、
祖父はたくさんの想いを胸に抱えながら手紙を書いたのだろう。
長い文章を書く事も出来たはずだけれど、
祖父はただ一言「言葉にできない」と友達のノートに記す。
その後、祖父はずっと日本で暮らし、ジョージはカナダで生きることになった。
どこを探してもケイが見つからなかったんだよ、いろんなことがあったけど、
そのノートは無くさずにずっと持っていたんだよと言いながら、
ジョージは祖父の書いた手紙のページを私に見せてくれた。

Tuesday, November 12, 2013

嘉義日記1/Chiayi Journal 1

Artist in residence in Chiayi/嘉義でのアーティストインレジデンス

11月25日から12月の初めまで、
台湾の嘉義という町で 滞在制作をすることになりました。
 同時に11月30日から12月13日まで個展もあります。 

私が台湾を知るきっかけとなった大切な友達の名前と、
この町の名前には同じ「嘉」という漢字が入っていて、
そこで新しい人に出会い、いろんな話をして、
作品について考えるための時間を与えてもらえることが幸せだと思います。
8月の台北の展示で知り合ったキュレーターの方と
言葉にならないものについて考えながらこの数ヶ月ずっと計画をして来て、
やっとこの日が来るのかと感慨深い気もします。

こないだ祖父が言っていたように、先が見えないということは、
だからこそ、誠実に向き合って進んで行けるという
楽しさや喜びがあるのだろうと思います。
先が見えないからこそ、一つ一つのことを積み上げて行って、
その先に見えて来る道を歩んでいきたいと思いながら、
嘉義がどんなところなのか、しっかり味わってきます。
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宇田奈緒個展「Words Fail Me」(言葉にできないもの)
2013年11月30日(土)-12月13日(金)
10:00-21:00(アーティストトーク11月30日15時より)
会場 碰碰諸羅山(嘉義市新榮路34巷1號2F)
企画 家嘉工作室X碰碰諸羅山