Saturday, December 28, 2013

Sunday, December 22, 2013

2007年、2013年、2014年/2007, 2013 and 2014.

2007年1月17日に書いたヌーについての文章。
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あなたの心の中にある寂しさやうれしさや切なさや喜びみたいな気持ちと、
私の中にあるいろんな想いを繋げていきたいと願います。
言葉なんてものには限りがあって、
国や時代や価値観の違いを乗り越えるのは難しいから、
nu[ヌー]が生まれました。
時に絵だったり、写真だったり、言葉だったり、
伝統だったり祈りだったり旅だったり、
nu[ヌー]が現れる場所に決まりはありません。
この青いかぶりものがあなたを強くして、
人生の意味とか、
もしくは充実した未来なんてものを信じさせてくれたのなら、
なかなかうれしいのです。
どこに向かうのか、現時点ではよくわからないけれど、
nu[ヌー]の導くところならどこだって行ってみたいと思います。
みなさんの心の中にも、nu[ヌー]が住み着けますように。
どうぞよろしく。
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2007年の私は、先のことなど何も知らずにこの文章を書いていたけれど、
今でもヌーや写真、美術について思うことに全く変わりはなくて、
不思議とここに書いた通りになっているのだと感じます。
来年4月に5年半ほど働いた会社を辞め、
世界のいろいろなところで作品を生み出す暮らしを始めることにしました。
大学を卒業する時には、どんな風に美術と向き合うのが
一番自分にしっくりくるのかわからずに悩んでいましたが、
やっと付き合い方がわかって腑に落ちたような
そんな気持ちです。
新しいスタートには不安もありますが、
なるようになるだろうし、ヌーもいるから大丈夫という気持ちで、
来年も満喫していきたいと思います。
今年一年、世界のいろいろな場所でお世話になった皆様、
本当にありがとうございました。来年もどうぞよろしくお願いします。

Thursday, December 19, 2013

嘉義で撮った写真について/About the pictures I took in Chiayi



嘉義で撮影した19本のフィルムがお店から戻って来て、
半分ぐらいを確認した。
残り半分はまだ見れていないけれど、
撮った内容にタイトルを付けるとしたら何だろうと思う。
そして、それがきっと次の展示の内容になるのだろう。
オズの魔法使いで言うThere is no place like home.
(我が家のような場所はない)の逆で
"A place like home"(家のような居場所)と呼ぶと
しっくりくるのかもしれない。
どれを持って嘉義に戻るのか、これからゆっくり考えるけれど、
改めて写真を眺めるとあの1週間とは思えない濃い時間は、
やっぱり私にとって大事なものだったなと
感慨深い気持ちになった。

Tuesday, December 17, 2013

"Words Fail Me"についてのAgnesの話。/Agnes's story on "Words Fail Me"



"Words Fail Me(2013)"

嘉義での展示での写真作品"Words Fail Me"を見て、友達のAgnesが文章を書いてくれました。
Agnesとの話の中で私が理解した内容を日本語にしてみました。
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人生には、いつだって喜怒哀楽が混ざって存在する。
人生はきっと、旅のようなものなのだろう。
祖父が私の手をぎゅっと握ってくれたあの日は始まりであり、
そして、同時に終わりでもあるのかもしれない。

遠くの山を眺めてみる。
その向こうに何があるのかという好奇心が私を動かす。
目の前にあるはずのベニバナの花でさえ、
家の中からではカーテンに遮られてよく見えない。

外の世界を知ろうと家から出てみる。
そこにはたくさんのものが存在すると気付く。
そこには、あの黄色い花もちゃんと咲いている。

私はしばらくここに留まる。
季節が一つ流れるぐらいの間。
すると、突然の雨が花と葉を分かち、枝を地面に落とす。

それでも、私は時間というものが不純物を取り去り、
人生の本質を見せてくれると信じる。
私は自分の子供のころを思い出す。その頃信じていた、自分の居場所。
それは、心の中に刻まれた一番美しい記憶。
祖父にまた会えるような感覚。

でも、私はそんな幸せが簡単に消え去ってしまうことがあると知っている。
前がよく見えないのは、突然の雨のせいか、
それとも私の涙なのだろうか。

そんな人生の旅の記憶の一つ一つを私は書き留める。
旅で出会う一人一人が持つ、それぞれの人生。
私たちはそれぞれの道に戻り、人生という旅を続ける。
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(オリジナルの文章はこちら。)
人生就是喜怒哀樂的總和。
Life is a blending of joy, anger, sadness and happiness
一趟名為"生命"的旅行,
讓我把它寫下來,就從一雙爺爺緊緊牽著我的手開始。
I wrote down a journey named “life”
from the time when grandpa held my hand tightly
也或許是結束。
However, this may also be the end.
端看那遠處的山,
對這世界生疏的我因好奇心之驅使走向前,
I am tuned to gaze at the distant mountain, and driven by my curiosity to walk forward.
走進屋內往窗外看視線被窗簾阻擋無法清楚穿透,
外頭的紅花霧濛濛的。
The safflowers were hazy through the blocked sight of the curtain.
往外走,才發現這世界還能探索的事物還能夠再多,原來黃花也在。
Not until you went strolling the world, could you realize that there are a lot to explore in the world,
and finally found out the yellow flowers were there.
我待著一段時間,也許經過一季,
I’ve been here for a span, maybe a quarter.
抑或是一場突然來的與那場雨,打亂了花與葉、枯枝落地,
A sudden rain may disarrange the flowers and the leaves. The withered branches fall to the ground.
但我深信時間將會替我挑選出生命的雜質與菁華。
Yet I still believe “time” will percolate the impurities and essence of life for me.
視線將我帶到孩提時,家的方向就在那裡,
My attention was brought to my childhood, to the place where I belong.
彷彿回到了與爺爺或是與那個心中最珍惜的東西相聚的那一刻,
It was like getting back together with my grandpa and the most precious memories in my heart.
但這樣的幸福是如此容易消失啊!
This happiness however is too easy to disappear.
眼前是濛濛一片,分不清是淚還是突然來的的雨,
I can not tell whether it was the sudden rain or my tears which drizzled my eyes.
讓我把它寫下來,
一趟旅程之後記錄著所有回憶,
Let me write down those memories I carried during the journey.
而路過的一切都有他們將要走的路,
好比我們終將回到自己該走的路上,繼續好好的生活著。
Those passers-by I encountered got their own ways, just like us. 
We will get back on track, and live on our lives.

Saturday, December 14, 2013

嘉義日記7/Chiayi journal 7


嘉義に帰るということ/The meaning of coming back to Chiayi

嘉義に帰ったら、前の暖かい記憶が変化しちゃうんじゃないかなんていう、
小心者の私の心配なんてどうでも良かったのだと、
実際にみんなに会って気付く。
お馴染みのメンバーが、それぞれの姿で私を迎えてくれて、
猫を失った私の悲しさも暖かく包み込んでくれた。
いつだって思い立ったら帰って来ていいんだよという言葉が本当に暖かくて、
そんな居場所ができたことが幸せだ。
日本に戻ったら、前回のフィルムができてきてる頃だろう。
私はこれから一体何を考えて、どんなものを作るんだろうか。
また来年帰ってくるねと言った約束を守りたいから、
必ず帰ってこようと決意しつつ、今回は帰ります。

Friday, December 13, 2013

再び嘉義へ/Coming back to Chiayi

現実だったのか夢だったのかわからないような、
そんな密度の濃かった滞在制作から2週間が経ち、
今日また嘉義に行く。
台北の松山空港から台北駅に行き、
新幹線で嘉義駅に行き、
そこからバスで泊まる場所まで向かう。

3週間前には知らなかった場所が、
自力で行ける場所に変わり、
そこで会いたいと思う人達がいるということが、
暖かいし、縁というのは不思議だと思う。

あの滞在制作の時間が夢みたいに濃い時間だったから、
明日また嘉義に行くのがちょっと不安だと話したら、
日常が続いている嘉儀の中に特別が存在していると
キュレーターの方が教えてくれた。
あの時、家のように暖かい場所だと思ったんだから、
気楽に帰ればいいんだよね。

皆様、また会うのを楽しみにしてます。

Sunday, December 1, 2013

ヌーの新しい居場所/Nu in Chiayi.


嘉義最終日/last in Chiayi

今日はレジデンスでお世話になった宿の壁に
台湾のタイルで作られた道を歩んで行くヌーの絵を描いた。

この場所に生きる一人一人の人生が交差して、
歴史が積み重なって、町や土地の記憶が重なり合って、
時間は流れて行くのだと思う。
そして、そのある期間に生まれ落ちた人が、
お互いの人生に出たり入ったりして関わり合いながら、
それぞれが丁寧に生きて行くことにすごく価値があるのだと
今回のレジデンスで強く感じた。

一度しかない人生なんだから楽しまないとね、というのは、
すごく本当の事だと思う。
明日何があるかわからないからこそ、
今日お互いを大事に思い、
また会おうねと言って別れることが
とても大切なのだろう。

私が美術を始めた理由を再確認して、
これからも続けて行くのだと決意を新たにして、
今日描いたヌーと同じように、
自分の道をしっかりと歩んで行こうと思う。

Saturday, November 30, 2013

嘉義6日目/day 6 in Chiayi

この間韓国に行った時に友達と道を歩きながら、
幸せとは何だろうかという話をした。
例えば
他人のために自分の力を分け与えられるとか、
生活に困らないお金があるとか、
大事な家族がいるとか、
好きな仕事をしているとか、
人によってその答えは違うと思うけれど、
今回の嘉義の旅で、私にとっての幸福は何かという輪郭が
ぼんやりと見えつつあるような、そんな気がする。

きっと、私にとっての幸せとは、
美術を通して、離れた場所にいても
大事に思い合える人達と出会い、
お互いの人生が交差したところで思い出を共有し、
また会おうねと約束しながら
それぞれの人生を丁寧に生きるということなのかもしれないと思う。
例え再会までに少し時間が経ったとしても、
次に会った時にはおいしいものを食べながら
それまでに起きたニュースを方向し合って、
泣いたり笑ったりしながら
また次の日に向き合う勇気を交換し合うような、
きっとそういう事なんだろうと思う。

嘉義で生まれ育ったという、
檜の木工製品屋さんを営んでいる86歳のおじいちゃんが
今日私に下さったキーホルダーには
「宇田奈緒様 幸福 台湾への旅」と優しい言葉が刻まれていて、
私は色々な場所に住んでいる大事な人たちに感謝しながら、
幸せな人生を丁寧に生きて行きたいものだと思った。

Friday, November 29, 2013

嘉義5日目/day 5 in Chiayi

嘉義から1時間半ほどバスに乗り、
山の中で暮らしている原住民族の村に行った。
文字を持たない言語を使う彼らは、
代々口頭で伝えられる物語に基づいて、
その時期に食べていいと決められているものを
栽培したり採取して暮らしているのだという。

そこにある中学校で私の作品について話をして、
ヌーの絵を描き、生徒のみんなの大事にしているものと
ヌーを交換した。
私の作品について話した後、
生徒のみんなが私に「ナーウー」という名前を付けてくれた。

その中の一人から、
「ナーウーにとって美術は仕事?」という質問を受けた。
私にとって、美術は仕事ではなく、本当に大切なもので、
生きることと同じような存在だよと答えた時、
生徒達は私が自分で思っていたよりも
はるかに深く、その意味を理解してくれたんじゃないかと思う。

生徒のみんなが私と交換してくれた写真や絵や、
イノシシの骨やペンやキーホルダーやCDや石や、
たくさんの質問が、私にとって本当に意味があるのと同じように、
彼らにとっても、ヌーが少しでも意味のある存在になれたならいいなと
心から思った。

Thursday, November 28, 2013

嘉義4日目/day 4 in Chiayi

ある時そこにどこかから人が来て、
しばらく滞在して共通の思い出を作り、
時がきたらまた別の所に移動して行くのを見送るのが
ホステルを経営するということだとオーナーが言う。

まだ嘉義に来て4日しか経っていないのに、
ここでは皆がありのままの自分でいることが当然だよと
暖かく迎え入れてくれる雰囲気がある。
昨日出会ったばかりの人が
ずっと昔からの知り合いなんじゃないかと思うような、
そんな自然な空気感で相手を信じられるのは
この町に存在する不思議な力なのかもしれないと思う。

今まで、誰かを信頼するというのは、
自分の身を相手に預けて
どこか遠い所に飛び込むようなものかと思っていた。
でも、本当はそんなことではなくて、
それぞれの人が生きて来た道が交差する場所で、
お互いの大事にしているものを尊重しあって、
おいしいものを食べたり涙が出る程笑ったりして思い出を作り、
また地球のどこかで会おうね、って言いながら別れる中で、
自然と生まれて来るものなのだろうと感じる。

長い時間の経過の中で、嘉義という町も
生まれて来る人を迎え、成長を見守り、
そして去って行く時を見送って来たのだと思う。
その町が持つ記憶は私の今回の滞在制作の記憶と
どんな風に重なって行くのだろうと今日は特に感じた一日だった。

Wednesday, November 27, 2013

嘉義日記4/Chiayi Journal 4


嘉義3日目/day 3 in Chiayi

嘉義の「東市場」の建物は
補強や変更が必要になった時に、
その時代に使われている身近な素材や技術を使って
変化が加えられていった場所なのだという。
今ここに存在している市場の建物や風習や役割は、
その全てが積み重なった、コラージュのようなものなのだと
嘉義を研究している先生から教わった。

世界のどこにいても、もしかしたら人は
似たようなことを考えるのかもしれないけれど、
台湾という場所や嘉義という土地に来てから、
「現在」とは、いろんなもののコラージュで
出来ているのだと感じことがとても多い。

そこに住んでいる一人一人の人生や、
その時々に受け継いで来た文化や言葉や、
夜市を構成する一つ一つの店や、
昔のお風呂場に使われていた懐かしい模様のタイルや、
時間の流れを作り出す毎日の積み重ねが、
それぞれの要素として町を作る。
そして、その町が物事や人の繋がりを作り、
「現在」を生み出しているのだとしたら、
台湾とコラージュという考え方がとてもしっくりきて、
この町の今を切り取った写真に写り込むものを
早く現像して見てみたいと思った。


自由時報/The Liberty Times


Tuesday, November 26, 2013

嘉義2日目/day 2 in Chiayi

「世の中で一番楽しく立派なことは
一生涯を貫く仕事を持つことです」
という言葉から始まる福沢諭吉の心訓を掲げた
昔ながらの眼科が嘉義にあって、
そこで100歳まで医師を続けたお父さんのことを、
もうすぐ80歳になるという現役の眼科医の先生が
日本語で私に説明してくれた。
お父さんの遺言で心訓を守るようにと言われたのだそうだ。

3年前に網膜剥離になって、
見えるということは当たり前のようでいて、
全く当たり前ではないと実感した。
それととても似ていて、
何かがずっとそこにあるということも、
決して当たり前ではなくて、
人の努力や配慮、思いやりや願いがあって、
受け継がれていくのだと実感する。

弟を癌で先に亡くしてね。
家内も今、末期の癌で入院しているんです。
僕も足が悪いから、午前中はここで昼寝してますから、
また遊びに来て下さいね。
という先生の日本語の話し方が、
うちの祖父や叔父と何だかよく似ていて、
時間の流れによる物事の変化の理由や理不尽さも色々と感じて、
まだまだ知りたいことがたくさんあると思った。

父から息子へ/From a father to his son.


Monday, November 25, 2013

嘉義初日/1st day

今、目の前に存在しているものは、
歴史や知恵の積み重ねの結果であって、
そこにすごく感動したり共感した時に、
その表面をどうにかして写し取っておこうと願うのが
私にとっての写真なのかもしれないと
嘉義に来て初日だけど、とっても実感する。

だんだんと消えて行ってしまいそうな建物の歴史や、
伝統の中で受け継がれて来たおいしい物を食べる習慣や、
人が集まってお酒を飲みながら
歌を聞いたり歌ったりすることだったり、
いろんなテーマについて語ることだったり、
時間が流れていってしまう事がとても惜しいけど、
でもそれがその先に続いていると実感する時に、
写真はきっとすごく力を発揮するのだろうと思う。

まだ到着して数時間しか経っていないと思えないほどに
暖かい空間に迎え入れていただき、
明日から何を撮ろうか楽しみです。


嘉義到着/I'm in Chiayi


台湾到着。/I'm in Taiwan.


Sunday, November 24, 2013

今回のレジデンスのテーマ/Theme of the residence

8月の台北の展示で出会ったキュレーターの方に
今回のレジデンスに誘っていただいて以来、
時間があればとにかくチャットをして、
このレジデンスでどんなことをしたいかを話し合った。

何時間話したのかわからない程にいろんなことを検討し合い、
その中から自然と見えてきた2つのテーマである、
「帰る場所があること」と「言葉にならないもの」
について滞在制作をして、展示を作っていくことになった。

自分が住み慣れた町を離れ、
わざわざ好んで遠いところに行って制作をするのに、
そのテーマが「帰る場所があること」というのは、
何だか不思議に思えるのかもしれない。
でも、帰る場所があると知っているからこそ、
人間は遠くにも行くことができるし、
遠くにいくことがあるからこそ、
人は帰る場所のありがたみを知ったりするのだろうと思う。

8月の「言葉にならないもの」をテーマにした展示で
今回のキュレーターの方に初めて会った時、
ぜひ嘉義に来て、嘉義に存在する言葉にならないものを
宇田さんの目で見て欲しいと言ってもらったことを良く覚えている。
その時の展示では、
祖父が遺した「言葉にならない」という手紙に込められた思いが、
私が長年考えて制作してきたテーマと重なっているという
暖かな実感があった。

祖父自身が晩年「帰る場所」をどこだと認識していたのか、
今では聞く術がないけれど、
生まれ育った土地を20歳前後で去る時に祖父が書いた手紙が、
今の私と嘉義を繋いで、「帰る場所があること」について考えたいねと
言い合えるような出会いを生み出すという、
そんな繋がりを大事にしながら嘉義を見て来ようと思う。

Saturday, November 23, 2013

Statement of the show/展示について

About 70 years ago, my grandfather wrote a message to his friend George 
when he was living in Canada. 
It was a difficult time, and they had to be separated. 
I think my grandfather had so many things he wanted say, 
but he just wrote "Words Fail Me." on his friend's notebook. 
My grandfather came to Japan after that, and George stayed in Canada. 
They never had a chance to see each other again, 
but George still has the notebook even today.

今から70年ぐらい前に私の祖父がカナダに住んでいた頃、
友達のジョージ宛に書いた手紙がある。
その頃は世界が複雑な状況で、
私の祖父とジョージは運命の力で離ればなれになった。
そんな状況の中で、
祖父はたくさんの想いを胸に抱えながら手紙を書いたのだろう。
長い文章を書く事も出来たはずだけれど、
祖父はただ一言「言葉にできない」と友達のノートに記す。
その後、祖父はずっと日本で暮らし、ジョージはカナダで生きることになった。
どこを探してもケイが見つからなかったんだよ、いろんなことがあったけど、
そのノートは無くさずにずっと持っていたんだよと言いながら、
ジョージは祖父の書いた手紙のページを私に見せてくれた。

Tuesday, November 12, 2013

嘉義日記1/Chiayi Journal 1

Artist in residence in Chiayi/嘉義でのアーティストインレジデンス

11月25日から12月の初めまで、
台湾の嘉義という町で 滞在制作をすることになりました。
 同時に11月30日から12月13日まで個展もあります。 

私が台湾を知るきっかけとなった大切な友達の名前と、
この町の名前には同じ「嘉」という漢字が入っていて、
そこで新しい人に出会い、いろんな話をして、
作品について考えるための時間を与えてもらえることが幸せだと思います。
8月の台北の展示で知り合ったキュレーターの方と
言葉にならないものについて考えながらこの数ヶ月ずっと計画をして来て、
やっとこの日が来るのかと感慨深い気もします。

こないだ祖父が言っていたように、先が見えないということは、
だからこそ、誠実に向き合って進んで行けるという
楽しさや喜びがあるのだろうと思います。
先が見えないからこそ、一つ一つのことを積み上げて行って、
その先に見えて来る道を歩んでいきたいと思いながら、
嘉義がどんなところなのか、しっかり味わってきます。
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宇田奈緒個展「Words Fail Me」(言葉にできないもの)
2013年11月30日(土)-12月13日(金)
10:00-21:00(アーティストトーク11月30日15時より)
会場 碰碰諸羅山(嘉義市新榮路34巷1號2F)
企画 家嘉工作室X碰碰諸羅山